2012年10月1日

森に住んでいる神仏

 めて「神道」ということを知ったのは何年前の時日本のあるアニメを見て、白い服を着てる人が呪文を読んで、お祓いを振りながら、鬼を除ける姿はすごく関心しました。西洋のマジックと一緒、すごい力を持っているみたい、どんなに怖い鬼ても、簡単に除けることができる。あの時は、神道は中国にある「仏」みたい、人々にぬかずかれて、心の中に一つだけの神明だと思っていた。
しかし、日本に来て、もっと詳しく日本の文化を了解するとともに、日本人の信仰は神様だけではなく、仏様の誠に信じています。

 去年の学校が行ったバス旅行で、全国4万4千社ある八幡宮の総本社である宇佐神宮に行きました。
<宇佐神宮>

 今日は臼杵に行って、800年間を通り抜けて、平安時代で彫られた石仏を見ました。山並みに茂っている木々に囲まれ、仏様はやはりこんな静かな所しか住めませんか。
石仏の前の香炉にお線香が多く立てられている。これらは必ず人々の真心がこもっているお祈りなんだと思っています。みんなわざわざ、町からここに来て、絶対に誠に仏様にお守りを願いに来ました。
<阿弥陀三尊像>



 しかし、逆に騒がしい町の中に誰が守ってくれますか。




向こうの畑を見て、雨をかけるともっと緑になりました。見ながら、どうにかほっと胸をなで下ろしてきた。恵まれた天然な水分、仏様の守りを結んで、この土地で美味しい米がうまれました。私たちは白飯を食べるときは幸せを感じできる。大昔、この畑の辺りの村こそ賑やかだったんですよ。何百年の変化のおかげて、人類の中心は都市に移しても、この「幸せ」の源は変わってないです。


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